ひよっこ、親をゆるす
”月時計会議”の最終問題、「由香の生き方問題」
なぜに、鈴子さんと省吾さんに反抗的な態度を取ってしまうのか。由香の母親が亡くなった時、『自分達のせいだ』と、鈴子さんと省吾さんに謝られてしまった。そんな風に自分は思っていなかったのに・・・時が経つにつれ、自分が(二人の)そばにいるせいで、思い出させてしまうのではないか、気を使わせてしまうのではないか、と考えるようになり、自分は離れて暮らしたほうがいいと思って家を出た。反抗的な態度は全部演技で、本当は素直で優しいいい子、なんだって。
早苗「・・・で、どうするんだ、これから由香は?」
由香「どうするって?」
早苗「ずっとこのままでいくのか?」
由香「いや、そういう訳じゃないけど。ボタンをさ、かけ違えちゃったんだよ、最初に。だから噛み合わない。ずれたままきちゃったんだからさ。今更もとには戻れないし、離れてたほうが上手くいくことだってあるんだよ」
早苗「ふーん・・・だったら、ボタンを全部外してかけ直したらいいんじゃないのか?・・・ん?・・・・違うか?」
みね子「嫌なんですか?自分からは」
由香「だってさ・・・」
みね子「そういうとこが、由香さんは子供だと思うんです、わたしは」
時子「どういうこと?」
みね子「親から何かしてもらうことを期待してる。それは子供の証拠です。自分から親のことを考えて動く。親をゆるす。それが大人だとわたしは思います」
時子「あんたそんなこと考えてたの?」
みね子「考えてた・・・お父ちゃんがいなくなってから見っかるまで、ずっと、お父ちゃんが家族を捨てたのだとしたら、自分はどうすっか、そんときお父ちゃんをゆるせるのかって。お互いひとりの人間として考えたら、まあ色んなこと嫌んなって投げ出しちまう気持ち分かんなくもないし、だからゆるそうって。そう思ったとき、子供じゃなくなったんだな〜〜って、そう思ったんだよね」
「親をゆるす」ことが、大人になること。子供じゃなくなること。みね子はほんとにきちんとした考え方の出来る大人なんだなあ・・・50に手の届きそうな年齢になっても、「ゆるせない」ことばっかりが心を占める私は、いつまでも子供なんだなあ。
昨日の話しだったか。あまりにもいい子ちゃんで我慢ばっかりしているように見えるみね子に、由香が「もっと自由に生きていいのよ」と言うシーン。
「自由ってなんですか?」みね子は問う。「自由って自分で選んで生きていくこと、ですよね?」私は、島谷さんのことも、東京に来たことも、全部自分で選んできた。だから自分は自由に生きている。
はたから見たら、我慢ばっかりで可哀相な子に見えるかもしれない。でも、可哀相かどうかは自分で決める。不幸かどうかは自分で決める。幸せなんて自分の基準でしかはかれない。
みね子は、人間の真理が分かっているのだねえ。だから明るくて素直な生き方が出来るのだろうなあ。
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