剛くん、ゆっくり休ませてあげて
堂本剛くん、先日のラジオ番組で、今の症状を語った、とか。
仕事中の夜中に突発性難聴を発症、1週間は内服で治療、1週間後に入院。
そういえば、以前ネットニュースに症状と治療の詳細がのっていた。記事に書こうかと思って、書いているうちに私もなんか気分が不安定になってきて……消したんだった。
あまりにも過酷な内容だったから。
治療は、長時間の点滴と鼓膜に注射、そのほかいろんな治療をした、と。鍼治療もしているが、痛みのある治療だそうで。
症状も治療も辛そうで……
剛くんて、普段から自律神経系は弱い人なんだろう。それにつけて仕事が忙しい、ストレスがたまる、体が助けを求めていたのだろう。
仕事がら、病気になったから、はい、すぐに休みます、入院します、とは簡単には出来ない。突発性難聴は発症から治療が早ければ早いほど治りが早いと聞く(これも人によるかな)。仕事のタイミングで、実際入院したのは、1週間後だったし。1週間というのは、ギリギリ完治のタイムリミットなんだって。
とにかく大音量がダメなんだそう。日常生活で普通に暮らしてたら大丈夫だろう、と思われがちだけど、日常生活でも、普通に大音量はある、と。車がば〜〜っと大きい音で走ったり、宣伝カーもある、お店からの音楽や、後ろを歩いている人たちの騒ぎ声なんか、いくらでもある、と。
そうだよね、音楽の仕事をしていなければ大丈夫、という認識は甘いだろう。
「自分の体を犠牲にしてまで何かをすることが良いことなのかとか今回色々考えました」と吐露。現在も同番組の出演など、治療を続けながら症状に支障をきたさない仕事はこなしているが、「自分の体もそうだし、心もそうですけど、いたわりながら、皆さんと繋がれる場所が存在するのが、僕の中で重要だなと感じた」
modelpress編集部 記事より引用
とにかく心配です。
「気付いたら良くなってるかも知らんし、何年かかるかも分からない」と本人は話している。
からだと心を休めることは大切だけど、だからといってそれさえしていれば完治する、という簡単な問題でも無いのだろう。
でも、自分を守れるのは自分だけ。まず自分のこと優先で仕事をこなしていければいいのだけど。
ひよっこ、親をゆるす
”月時計会議”の最終問題、「由香の生き方問題」
なぜに、鈴子さんと省吾さんに反抗的な態度を取ってしまうのか。由香の母親が亡くなった時、『自分達のせいだ』と、鈴子さんと省吾さんに謝られてしまった。そんな風に自分は思っていなかったのに・・・時が経つにつれ、自分が(二人の)そばにいるせいで、思い出させてしまうのではないか、気を使わせてしまうのではないか、と考えるようになり、自分は離れて暮らしたほうがいいと思って家を出た。反抗的な態度は全部演技で、本当は素直で優しいいい子、なんだって。
早苗「・・・で、どうするんだ、これから由香は?」
由香「どうするって?」
早苗「ずっとこのままでいくのか?」
由香「いや、そういう訳じゃないけど。ボタンをさ、かけ違えちゃったんだよ、最初に。だから噛み合わない。ずれたままきちゃったんだからさ。今更もとには戻れないし、離れてたほうが上手くいくことだってあるんだよ」
早苗「ふーん・・・だったら、ボタンを全部外してかけ直したらいいんじゃないのか?・・・ん?・・・・違うか?」
みね子「嫌なんですか?自分からは」
由香「だってさ・・・」
みね子「そういうとこが、由香さんは子供だと思うんです、わたしは」
時子「どういうこと?」
みね子「親から何かしてもらうことを期待してる。それは子供の証拠です。自分から親のことを考えて動く。親をゆるす。それが大人だとわたしは思います」
時子「あんたそんなこと考えてたの?」
みね子「考えてた・・・お父ちゃんがいなくなってから見っかるまで、ずっと、お父ちゃんが家族を捨てたのだとしたら、自分はどうすっか、そんときお父ちゃんをゆるせるのかって。お互いひとりの人間として考えたら、まあ色んなこと嫌んなって投げ出しちまう気持ち分かんなくもないし、だからゆるそうって。そう思ったとき、子供じゃなくなったんだな〜〜って、そう思ったんだよね」
「親をゆるす」ことが、大人になること。子供じゃなくなること。みね子はほんとにきちんとした考え方の出来る大人なんだなあ・・・50に手の届きそうな年齢になっても、「ゆるせない」ことばっかりが心を占める私は、いつまでも子供なんだなあ。
昨日の話しだったか。あまりにもいい子ちゃんで我慢ばっかりしているように見えるみね子に、由香が「もっと自由に生きていいのよ」と言うシーン。
「自由ってなんですか?」みね子は問う。「自由って自分で選んで生きていくこと、ですよね?」私は、島谷さんのことも、東京に来たことも、全部自分で選んできた。だから自分は自由に生きている。
はたから見たら、我慢ばっかりで可哀相な子に見えるかもしれない。でも、可哀相かどうかは自分で決める。不幸かどうかは自分で決める。幸せなんて自分の基準でしかはかれない。
みね子は、人間の真理が分かっているのだねえ。だから明るくて素直な生き方が出来るのだろうなあ。
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高山寺 御朱印とおみやげ
御朱印を貰うのは初めてだったので、どうやってもらえばいいのか・・・と小心者の私はちょっとビビッていたのですが、高山寺では、御朱印帳を買ったときに、「朱印はどうしますか?」と聞いてくれたので、その場でお願いしました。おみやげを見ている間に書いて頂きました。きっと混雑時は待ち時間が出るのでしょうねえ。いずれも300円かかります。
その場で書いて頂いたのですが、筆でさらさらとバランスよく書かれていたのには感心しました。ひとりひとり書くのは大変だと思います。ありがたいです。
墨取りの和紙も可愛いです。
↓ これが欲しかった御朱印帳。何種類かあって迷ったのですが、一番シンプルで象徴的なイラストのものを選びました。ネットでもいろいろ買えるみたいです。
↓ おみやげ。左は絵はがき。3枚入り1000円だったかな。右はクリップ。500円。
ずっと、御朱印を集めたい集めたいと思っていて、なかなか出来なかったのですが(どうしてだろ)神社仏閣めぐり大好きなので、これから集めていきたいとおもっています。
西国三十三ヶ所めぐりもしたいなあ。
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鳥獣戯画ゆかりの寺へ~高山寺・西明寺・神護寺
久しぶりの京都の寺めぐり。
京都タワーも青空に映えて綺麗。
JR京都駅から、JRバスで”周山行き”バス「栂ノ尾(とがのお)」で降りる。窓口で、「高山寺に行きたい」と言えば親切に案内してくれます。地図付きの一日乗車券800円がお得です。
バスには1時間弱くらい乗ります。山を登っていくのでバスは結構揺れます。
紅葉の季節はすごい混むらしいですが、今の時期閑散としていて、バスもガラ空きでした。
栂ノ尾、到着。とりあえず腹ごなし。
バス停近くの食堂へ。
旦那は、天ざるそば。
私は、山菜うどん。だしが薄味で美味しかった!
バス停から徒歩ですぐ、「裏参道」に出ます。
表参道は少し距離があったので、今回は裏からのぼりました。
結構なのぼり階段。でも木陰で風が吹いたら涼しい。気持ちの良い風。
もともと、ここに境内があったのでしょうか・・・
観光客もほとんど居ないので、のんびりとしたいい感じ。オンシーズンで混み混みがあまり好きじゃないので、この雰囲気、好きです。
結構敷地は広いです。
ようやく、到着。 高山寺 石水院。
拝観料 大人600円。ようやく行きたかったお寺に着きました。
ここで、高山寺について。
創建は、寺伝によると奈良時代末の宝亀五年(774)に光仁天皇の勅願によって開かれ「神願寺都賀尾坊」と称したと伝わる。高山寺中興開祖である明恵上人(みょうえしょうにん)は、華厳宗興隆を実践し、その徳行は皇族・公爵・武士など多くの人々の信仰を集めた。そして「鳥獣人物戯画絵巻」に代表される数多くの文化財が高山寺に集積されていったのである。平成六年には「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録された。
**高山寺のしおりより引用
石水院へ、靴を脱いで上がります。中は渡り廊下があって、なかなか趣があります。
石水院は、明恵上人が後鳥羽上皇より学問所として賜った建物で、上人時代の唯一の遺構であり、鎌倉時代の建保四年(1216)に建立され、国宝に指定されている。
ガラスケースの中に展示してある「鳥獣人物戯画絵巻」(国宝)。これが見たかったのです(レプリカですが・・・)
甲・乙・丙・丁の四巻に分かれており、甲巻が最も有名。各巻は異なる時代、異なる人物によって描かれている。甲・乙巻が平安時代、丙・丁巻が鎌倉時代の制作と考えられ、天台宗の高僧である鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の作とも伝わるが確証は無く作者未詳であることなど、いまだに未解明の謎が多いそうです。
本物は、東京と京都の美術館にあるそうです。
おみやげも置いてありました。いろいろ欲しかったのですが、あれもこれもじゃあ切りが無いので、クリップと絵葉書を購入。
ここで、御朱印帳も購入。ここのお寺の朱印帳が欲しかったので、嬉しかったです。御朱印も貰い大満足でした。
金堂。日本最古の茶園があるそうなのですが、見逃しました・・・
これが表参道の入り口。
ここからは、歩いて西明寺へ。バス停ひとつ分歩きます。
指月橋を渡って行きます。紅葉の季節は、この赤い橋と赤い紅葉が綺麗で写真ばえしそう。下の川で水遊びをする家族がいっぱいでした。地元では有名な川遊びスポットなんでしょうねえ。
西明寺。拝観料 大人500円。
次のお寺へ。またバス停ひとつ分。
神護寺までは結構な石段を登っていきます。これは普段運動不足な私にはキツかったです・・・
ようやく到着。 神護寺 楼門。 拝観料 大人500円。
「かわらけ投げ」というものがありました。200円で3枚の小さなお皿を買います。
このお皿を、ここから投げます。自分の中の失くしてしまいたいものを唱えながら投げるといいって。厄除けになるそうです。
しかし、”投げる”行為をしたのは何年ぶりでしょうか。まったく投げられなかったわたし・・・
帰りの、下り石段もなかなかのキツさでした。翌日から筋肉痛に悩まされましたよ。
高雄観光は、車で行ったほうが楽かもしれません。(かなり階段を上ったり下ったりするので)でも、オンシーズンは混みそうだから、渋滞するのかなあ。電車とバスと徒歩でゆっくりと京都をまわるのも、いいですけどね。
御朱印とお土産は後日アップします。
やっぱり京都、好きだな。
これから御朱印を集めることも目標に、お寺めぐりをしていこうと思っています。
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ひよっこ、自分の居場所は自分で作る
先週の話し。
田植えも無事終わり、みね子が東京へ戻る。
急に心細くなる美代子さん。
子供って育ててる時は大変で、これって永久に続くのか、とウンザリすることもあったけど、子供はすぐに大きくなる。あんなに自分にまとわりついて、自分から離れなかった子が、すっかり大人になり、もうひとりでどこへでも行けるのだ。
もう自分を必要では無くなっていたのだ。
みね子を東京に出す時の、美代子さんの気持ちてどんなもんだったのか。想像したらなみだ出る……しかも、実さんも居なくなってさ。
『実家は好きだし、ずっと居たいと思う気持ちもあるけど、早く東京に戻りたい、自分の居場所で働きたい、という気持ちも強くあって』
みね子ももう立派な大人になったんだね。
みね子の居場所は、奥茨城の実家ではなくて、東京・赤坂の狭いアパートの一室であり、「すずふり亭」の職場なのだ。
子供が、自分で自分の居場所で生きていく。
親は取り残されたような気持ちでそこから動けない。
自分もそろそろ自分の居場所を作らなきゃな、な〜んて思ったのである。
報道ステーション、自分との戦い
ウエイトリフティング69kg級・宮本昌典選手を紹介。
三宅宏実の叔父にあたる三宅義信監督の秘蔵っ子だそう。宮本選手は、沖縄工業高校でウェイトリフティングを体験したのが競技の始まりだった。三宅監督は、それを見て才能に気付き、沖縄で合宿を行う度に、宮本選手にアドバイスをしていたそうです。
そんな宮本選手に対して、三宅義信監督は「これからは”五輪の心”を作らないといけない」とコメントしている。
6月、世界ジュニア選手権で意識したライバル、カミングス(米国)の存在。
彼を意識しすぎて、無理をしてウエイトを上げた。しかし、これに失敗。結局、銀メダルに終わった。
三宅監督は言う。「大事なことは、『自分との戦い』」
人と比べてどう、とかでは無く、
常に自分との戦い、であると。
今回、宮本選手は、”自分との戦い”に負け、”相手との戦い”にも負けた悔しい銀メダルであった。
宮本選手は「負けて大切なことも分かった」と話している。
どうしても、人と競い合う競技って、相手を意識して相手を見て相手ありきの考えで戦ってしまう。実際はそうなってしまうんだろうけど、一番大事なことは、「自分との戦い」。
これが一番難しいんだろうな。いつも人と比べてしか自分の幸せの度合いが分からない自分。他人と比べるのではなく、自分の過去と比べて成長したかどうかを考えたい。
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ひよっこ、実さんの言葉は涙腺を崩壊させる
『やっぱし、お父ちゃんはお父ちゃんだよ、違う人になったわけじゃないよ・・・』お母ちゃんに話すみね子。
記憶を失った実父ちゃんが、奥茨城の家に帰ってきた。家族みんなが戸惑うのも無理は無い。なにせ、姿かたちはまるっきり以前の父ちゃんだけど(まあちょっとは垢抜けたね、日焼け無くなったし)、家族に敬語を使う他人行儀の人になっちゃったんだから。
でも、ぎこちない大人たちとは違って、進だけは以前と変わらず、”お父ちゃん”として自然に接してる。これにはみんな救われるだろね、だってどう扱っていいのか分からないものねえ。敬語を使うお父ちゃんなんだもんねえ。訛ってるのは、みんなの訛りがうつってきてるのか、それとも訛りだけは思い出したのか・・・
まあ実さんにしても変な感じだろね、見たこともない人たちが突然「私たちが家族です」て現れたんだからね。戸惑うのも無理なし。
しかし、ほんと進とちよ子、子供達がけなげで可愛いな〜〜。
子供たちと実さんが寝静まった後、茂じっちゃんが、しみじみとみね子に言う。『みね子、ご苦労だったな・・・ありがとな・・・』
じっちゃんの言葉が凄く染みる。東京でひとり、10代の孫が頑張ってる、自分達を養うために。この言葉の重み・・・古谷一行の声、いいな〜〜。なんかマジで茨城の農家のイケメンじっちゃんに見えてくるんだよな。
今日は、大切な田植えの日。あいにくの雨だけど、じっちゃんも進も身支度して行こうとしている。もちろん何も覚えていない実さんは、「これでいいのかなあ」と、少し不安そう。
実「あのう・・・お父さ、父ちゃん!」
茂「え〜〜・・・なんだ?」
実「”みのる”って、いい名前ですね。好きです」
茂じっちゃん、涙を隠しながら、行くぞ、と声をかける・・・
泣けます・・・
ここにきて、お父ちゃん役がどうして沢村一樹なのか分かった気がした。
どうみてもシュッとしてスラッとした、小顔モデル体型男前のお父ちゃん沢村一樹。日焼けと畑仕事の似合わないお父ちゃん、茨城弁の似合わないお父ちゃん、3人の子持ちの似合わないお父ちゃん。なんで、沢村一樹なのかなあって思ってた。
だけども、記憶喪失になって、何も分からなくなって、女優の川本世津子さんの家にお世話になった。訛りも忘れ、日焼けも抜け、垢抜けた洋服を着て、大人しく世津子さんの帰りを待っている雨男さんになった。その姿に、茨城の農家出身の面影があってはいけないのだ。あくまでも記憶の無くなった人なのだ。みね子や美代子、ちよ子や進を見ても、キョトンとした表情のお父ちゃんの役が似合わないといけないのだ。
弟の宗男と似ていてはいけないのだ(これは関係ないか)
でも、ときどき、グっとくることを言ってくる実さんなんだなあ。
バスの車掌の仕事が最後だと話していた次郎に、『ごくろうさんでした』と労りの言葉をかける。この言葉がすごく心に響くんだよね。なんでだろ。
何も覚えてなくて、心の中にもなんにも無くて、本当に自分が思ったこと、感じたことを素直に言ってくるからかな。その言葉がやたら重いし人の心に染みわたるんだよ。だから泣けてくる。
最後まで実さんの記憶が戻らないかもしれないな。そういう設定もありそう・・・戻って欲しいけどさ。
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